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人の「面」から見るアイドルとファン【侍ふ2021.05.26vol.006】

ジャニーズwebの「異担侍日報~侍ふ~」の矢花くんのブログの感想などを書いていきます。

これはあくまでオタク個人が思っていることであって、その考えを強要しようだとか、これはダメあれはダメとか誰かを否定するものではありません。

 

 

 

お題「人の面」

 

これは誰にでもあると思いますが、アイドルはそれに苦しめられることも多いんでしょうね。実際に苦しんでいる姿は見たことないけれど、陰で悩んでいそうなことを想像できます。

 

他人が見ている「自分」と、自分が見ている「自分」は乖離せざるを得ないと思います。

接する相手によって対応の仕方は変わってしまいますし、与える自分の情報量だって全然違います。その情報量の違いによって「他人が思う自分」と「自分が思う自分」''ズレ''が出てくるのかなと思います。もちろん「他人Aが思う自分」と「他人Bが思う自分」にも''ズレ’’が出ますね。人の数だけ「本当の自分」とのズレがあるのかな。

 

と言いつつ、私は「自分の面」を使い分けることが得意ではないため、できるだけ少ない「自分の面」を持ちたいと思っている。

家族や友達など身近な人には同じような「面」を。

 

でもひとつ思うことがあった。

私はいわゆるジャニオタなんですが、その「ジャニオタな私」の面を誰に出しているのか。家族には全開、友達には出してはいるけど全開ではない。

 

さっきと言っていることが矛盾している。

 

オタクをしているときの自分と友達の前での自分が一番かけ離れていると思ったので無意識で「自分の面」を使い分けているみたいですね(家族と友達の前では自分の趣味の情報開示量が全然違うのです)。

 

 

 

「アイドル」と「ファン」の関係。

これは私がオタクをしている上で一番気にしている悩ましい問題であります。

今回矢花くんが気にしている「ジャニーズの矢花黎」と「本当の矢花黎」のことです。

 

私は好きなアイドルを傷つけたくないし、曲解もしたくない。

自分の言葉が届くことはないだろうけど、自分が発したものがアイドルに変な風に影響を与えたくない。

(このブログを書いている時点でそれもまた矛盾しているなあ)

私は好きなアイドルが自分で考えて私(ファン)に発してくれたその言葉や態度をそのまま受け止めて大切にしまっておきたい。(歌詞など作品の考察は別として)

部屋が汚そうとか綺麗そうとか考えないわけでもないけれど、それをアイドルに届く形では絶対に発したくない。

 

自分のアイドルへの「想像(または理想像)」が「実際(表と裏関係なく)」と違っていたとしても、期待外れだとは思わない。期待していないということではない。

「自分の解釈が事実と違った」という事実を受け止める。

私はただ、私が見えているその「アイドル」という偶像をまっすぐに見ていたいだけ。

 

だから見たまま聞いたままをそのまままっすく受け止めるようにしている。

 嘘でもいい。アイドルから嘘の気持ちを言われたとしても、曲解はしない。

 

私がこう思うのは、嵐の櫻井翔くんのブログ((ジャニーズweb「オトノハ」))がきっかけだった。

いろいろ雑に端折って簡単に言うと、「自分の気持ちがまっすぐファンに伝わっていない。発した言葉は曲解せずにまっすぐ受け止めてほしい」とのこと。((その時期いろいろあったりしたけどここでは述べません。))

意外と気にするんだな~となったのと同時に、ファンに対して真剣なんだなと嬉しくなった。

 

矢花くんは自分の気持ちが曲解されていることに悩まされているわけではないようだけれど、「ジャニーズの矢花黎」と「本当の矢花黎」、「自己像」と「理想像」、「自分の解釈」と「ファンの解釈」のズレを実感するときの違和感は似ているのではないだろうか。

自分が今まで見てきたアイドルたちと今回の矢花くんのブログからみて、自分が思う「自分」とファンが思う「自分」の違いは悩みだしたらキリがなさそうだな~と思った。

 

「アイドルの自分」と「本当の自分」を演じ分けているアイドルもいると思う。

アイドルに限らず、自己を「理想像」にもっていく人もいれば、理想像を「自己」にもっていく人もいる。

人の数だけ「自分」への解釈があると思うし、ましてやアイドルとファンという関係上でファンの解釈を1つに統一される日はなかなか難しいと思いますね。

 

 

 

あーだこーだ言って、とどのつまり私が言いたいのは、

なんでも受け止めるからやりたいことやりなさい!!!!!!!!!!

見せたいものをみせてください!!!!!!!!

です。